今回はアル・ジャロウのランキングを作成しました。
この人は稀にみる実力派シンガーです。
歌の技術では他の追随を許さない一方、技巧を前面に押し出さなくても聞きごたえのある歌を聞かせてくれる人でした。
この記事ではシンガーとしての彼の魅力に迫ってみました。
- 1 1位「Rainbow in Your Eyes」(アルバム:Glow)
- 2 2位「Closer to Your Love」(アルバム:Breakin’ Away)
- 3 3位「Spain (I Can Recall)」(アルバム:This Time)
- 4 4位「Mornin’」(アルバム:Jarreau)
- 5 5位「Says」(アルバム:L Is for Lover)
- 6 6位「Thinkin’ About It Too」(アルバム:All Fly Home)
- 7 7位「So Long Girl」(アルバム:Look to the Rainbow)
- 8 8位「Raggedy Ann」(アルバム:We Got By)
- 9 9位「All or Nothing at All」(アルバム:Heart’s Horizon)
- 10 10位「After All」(アルバム:High Crime)
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1位「Rainbow in Your Eyes」(アルバム:Glow)
■曲名:Rainbow in Your Eyes
■曲名邦題:瞳の中のレインボウ
■アルバム名:Glow(1976年)
■アルバム名邦題:輝き
■動画リンク:「Rainbow in Your Eyes」
この曲は多くのアーティストにカバーされています。
そのためオリジナルが誰の曲か分かりにくいかもしれません。
この曲はレオン・ラッセルが書いた曲で、1976年に発表された「The Wedding Album」に収録されています。
オリジナルをご紹介しましょう。
Leon & Mary Russell – Rainbow in Your Eyes
本家のバージョンは1976年4月で、このアルバムは同年6月にリリースされています。
つまり本家が発表されてすぐカバーしたのですね。
アル・ジャロウの方はシングルカットされましたが、ヒット曲にはなっていません。
ただこのカバーは、後にアール・クルー(Earl Klugh)やジュディ・ロバーツ(Judy Roberts)など、フュージョン系名カバーの先駆けとなりました。
2位「Closer to Your Love」(アルバム:Breakin’ Away)
■曲名:Closer to Your Love
■曲名邦題:クローサー・トゥ・ユア・ラヴ
■アルバム名:Breakin’ Away(1981年)
■アルバム名邦題:ブレイキン・アウェイ
■動画リンク:「Closer to Your Love」
この記事の対象期間は、デビューから1988年の「Heart’s Horizon」まで。
その間フュージョン/ニューソウル期から徐々にAOR/ブラック・コンテンポラリー色が強まりました。
中でも全盛期だといえるのは、このアルバムをピークとするAOR期です。
このアルバムはキャリアを通じて唯一トップテンに入る9位を記録し、シングルカットされた以下の曲は、15位と最大のヒット曲となりました。
Al Jarreau – We’re In This Love Together
一般的にもこのアルバムは彼の最高傑作と言われています。
このアルバムはグラミー賞の最優秀男性ポップ・ボーカル賞も受賞しました。
AOR全体でも特筆すべき名盤としてその地位を確立しています。
3位「Spain (I Can Recall)」(アルバム:This Time)
■曲名:Spain (I Can Recall)
■曲名邦題:スペイン
■アルバム名:This Time(1980年)
■アルバム名邦題:ジス・タイム
■動画リンク:「Spain (I Can Recall)」
彼は大学で心理学を学び、卒業後はカウンセラーの仕事をしてました。
その後音楽のキャリアをあきらめきれない彼は、ジャズ・クラブで歌い始めました。
つまり彼は最初ジャズ・シンガーだったのですね。
この曲はチック・コリア(Chick Corea)が書いたジャズ・スタンダードです。
オリジナルはボーカルなしのインストですが、彼はボーカルでこの曲のメロディを歌いました。
この人は驚異的に歌が上手い人ですが、普通のシンガーと最も異なるのは楽器のように歌える点です。
器楽的というと、スキャットをイメージする方がいらっしゃるかもしれません。
しかしこの人の場合は、スキャットではない部分でも楽器のように歌うことができました。
そしてスキャットと歌詞のパート間を、シームレスに行き来できました。
この曲でも後半の器楽的歌唱は圧巻で、もはや歌詞の有無は気にならないほど。
彼と同じく器楽的なシンガーとしては、他にボビー・マクファーリン(Bobby McFerrin)がいます。
4位「Mornin’」(アルバム:Jarreau)
■曲名:Mornin’
■曲名邦題:モーニン
■アルバム名:Jarreau(1983年)
■アルバム名邦題:ジャロウ
■動画リンク:「Mornin’」
この曲はアート・ブレイキー(Art Blakey)で有名なジャズ・スタンダードではありません。
このアルバムはジェイ・グレイドン(Jay Graydon)と組んだ「This Time」「Breakin’ Away」「Jarreau」というAOR三部作の最終作です。
ジェイ・グレイドンとの出会いは、彼のキャリアにおいて最大の転機となりました。
それ以前の彼は音楽の質こそ高いものの、カテゴライズしにくい音楽でした。
先程私はフュージョン/ニューソウル期と表現しましたが、いささか苦し紛れの言い方である感はいなめません。
そして、えてしてそういう音楽は売れにくいものです。
しかしAORを代表する大物ジェイ・グレイドンのプロデュースによって、一躍彼はコンテンポラリーなシンガーとしての認知度を高めました。
この曲を聞くと、私はAOR路線での成熟が行き着いた感じがします。
そう感じるほど完成度の高いAOR名曲です。
5位「Says」(アルバム:L Is for Lover)
■曲名:Says
■曲名邦題:セイズ
■アルバム名:L Is for Lover(1986年)
■アルバム名邦題:L・イズ・フォー・ラヴァー
■動画リンク:「Says」
このアルバムはシックのナイル・ロジャース(Nile Rodgers)がプロデュースを担当しています。
前任のジェイ・グレイドンに負けず劣らずの知名度を持った実力者ですね。
アル・ジャロウはシンガーとしては超一流ですが、やりたい音楽を強く主張するタイプではなかったかもしれません。
そのため彼は誰かに活かされる必要がありました。
その点ジェイ・グレイドンとナイル・ロジャースは、共に確固たる自分の音楽観がある人。
その2人はプロデュースだけでなく、やりたい音楽に合ったプレイヤーも引き連れてきました。
アル・ジャロウはそうしたお膳立てが整った環境で、思う存分シンガーとしての実力を発揮しました。
このアルバムはセールス的に苦戦しましたが、売れなかったのが不思議なほどすばらしい出来です。
6位「Thinkin’ About It Too」(アルバム:All Fly Home)
■曲名:Thinkin’ About It Too
■曲名邦題:陽気なダンス
■アルバム名:All Fly Home(1978年)
■アルバム名邦題:風のメルヘン
■動画リンク:「Thinkin’ About It Too」
AORに路線変更する前夜のアルバムです。
当時はまだ明確な方向性を打ち出していませんでしたが、その音楽には過渡期特有の魅力がありました。
実際このアルバムは高く評価されています。
1978年に『ライヴ・イン・ヨーロッパ』が、1979年に『風のメルヘン』がグラミー賞の最優秀ジャズ・ボーカル・アルバム賞を受賞した。
ただこの曲がジャズ・ボーカルといえるかどうかは微妙かもしれません。
先程私は初期の彼はカテゴライズしにくいと書きましたが、そうした音楽が質を伴っているとこの種の不一致があるのですね。
ちなみに彼は興味深い記録を持っています。
ジャズ、ポップ、R&Bの3部門にまたがってグラミー賞を獲得した、最初の個人となる。
日本ではAORとの認識されているようですが、AORは日本独自のジャンルです。
彼の音楽をどう分類したらいいか、海外では少々悩ましい問題だったようです。
7位「So Long Girl」(アルバム:Look to the Rainbow)
■曲名:So Long Girl
■曲名邦題:さらば恋人
■アルバム名:Look to the Rainbow(1977年)
■アルバム名邦題:ライヴ・イン・ヨーロッパ
■動画リンク:「So Long Girl」
彼はヒットチャート的には売れっ子とはいえません。
全盛期グレイドン三部作でさえ、トップテン・ヒットを記録したアルバムは1枚のみ。
シングルにいたっては、キャリアを通じてトップテンヒットは1曲もありません。
しかしそれでも彼は生涯グラミー賞に19回もノミネートされ、その内10回受賞しています。
あと彼はアメリカのスターが集結した「ウィ・アー・ザ・ワールド(We Are The World)」でも、リード・ボーカルのパートを与えられています。
ヒットチャートでは中堅クラスなのに大物として扱われ、受賞歴も半端ありません。
そんなことアル・ジャロウかと言いたくなりますね。
閑話休題、、、それらの事実は誰もが彼の実力を認めている証左だといえるでしょう。
彼はセールスの裏打ちがなくても問題ない人でした。
このアルバムでも最高位は49位にすぎませんが、グラミー賞を受賞していますし。
ショー・ビジネスの本場アメリカは過酷な競争を勝ち抜かなければいけませんが、逆に突出した実力者とっては評価されやすい国なのですね。
8位「Raggedy Ann」(アルバム:We Got By)
■曲名:Raggedy Ann
■曲名邦題:ラガディ・アン
■アルバム名:We Got By(1975年)
■アルバム名邦題:ウィ・ガット・バイ
■動画リンク:「Raggedy Ann」
ファースト・アルバムの曲です。
このアルバムのプロデューサーはアル・シュミット(Al Schmitt)で、次作「Glow」ではそこにトミー・リピューマ(Tommy LiPuma)が加わりました。
同じく1976年にリリースされたジョージ・ベンソン(George Benson)の「ブリージン(Breezin’)」と似た布陣です。
確かに彼はジェイ・グレイドンとの出会いによって認知度が高まりました。
しかしそれは同時にグレイドンの型にはめられたともいえます。
一方初期には違った魅力があります。
初期は素材の良さを活かすプロデュース方針だったと思われます。
初期はアル・ジャロウ本人が書いた曲もあって、比較的彼の個性を把握しやすいかもしれません。
9位「All or Nothing at All」(アルバム:Heart’s Horizon)
■曲名:All or Nothing at All
■曲名邦題:オール・オア・ナッシング
■アルバム名:Heart’s Horizon(1988年)
■アルバム名邦題:ハーツ・ホライズン
■動画リンク:「All or Nothing at All」
この曲の作曲者はボビー・コールドウェル(Bobby Caldwell)で、彼自身も歌っています。
私はこの曲を聞くと、次第に脳内でボビー・コールドウェルの歌に自動変換されます。
出来としては同等ですが、最初に聞いた方が標準だとインプットされているのですね。
聞きようによっては、彼はかなりアクロバティックなシンガーです。
しかしこの人は技巧を前面に押し出さなくても、歌一本でじっくり聞かせることができました。
私は原曲からかけ離れたカバーを好みませんが、この人はケニー・ランキン(Kenny Rankin)と並ぶ数少ない例外です。
アル・ジャロウはフィーリングに優れていて、カバー時に入れるフェイクも良いですし。
スキャットでも普通の歌でも、フェイクを入れても原曲に忠実でも、どんな状況でもいかんなく実力を発揮した人でした。
シンガーとして何でもできる人だったかもしれません。
10位「After All」(アルバム:High Crime)
■曲名:After All
■曲名邦題:アフター・オール
■アルバム名:High Crime(1984年)
■アルバム名邦題:ハイ・クライム
■動画リンク:「After All」
このアルバムもジェイ・グレイドンのプロデュース作です。
しかし全盛期のAOR三部作と異なり、このアルバムは打ち込みが増えデジタル色が強まりました。
アルバムの出来そのものは悪くありませんが、その路線変更に不満を持ったリスナーは少なくないかもしれません。
しかしそんなリスナーの留飲を下げたのがこのバラード。
本来はもっと上位で紹介すべき曲ですが、満を持して最後にご紹介させていただきました。
彼はバラードに良い曲が多いですが、この曲はその代表格といえます。
これまで述べてきたように、彼は有能なプロデューサーに恵まれました。
しかしプロデューサー側からしたら、彼はプロデュースしてみたいと思わせるシンガーだったかもしれません。
自分ならこのすぐれた素材をどう活かすだろうと腕が鳴る一流シェフのように。
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