今回はスクリッティ・ポリッティのランキングを作成しました。
この記事では初期3枚のアルバムから選曲しました。
知的で中性的なその音楽には、唯一無二の魅力があります。
線が細い白人でも最高のソウル・ミュージックが可能であることを証明してくれました。
- 1 1位「The Word Girl」(アルバム:Cupid & Psyche 85)
- 2 2位「Small Talk」(アルバム:Cupid & Psyche 85)
- 3 3位「Perfect Way」(アルバム:Cupid & Psyche 85)
- 4 4位「Oh Patti (Don’t Feel Sorry for Loverboy)」(アルバム:Provision)
- 5 5位「First Boy in This Town (Lovesick)」(アルバム:Provision)
- 6 6位「Asylums in Jerusalem」(アルバム:Songs to Remember)
- 7 7位「Wood Beez (Pray Like Aretha Franklin)」(アルバム:Cupid & Psyche 85)
- 8 8位「Boom! There She Was」(アルバム:Provision)
- 9 9位「The Sweetest Girl」(アルバム:Songs to Remember)
- 10 10位「Faithless」(アルバム:Songs to Remember)
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1位「The Word Girl」(アルバム:Cupid & Psyche 85)
■曲名:The Word Girl
■曲名邦題:ザ・ワード・ガール
■アルバム名:Cupid & Psyche 85(1985年)
■アルバム名邦題:キューピッド&サイケ85
※ジャケはシングルのもの
■動画リンク:「The Word Girl」
このアルバムについて、今も色あせていないという文章を読んだことがあります。
その意見に異議を唱えるようですが、私はこのアルバムでさえ細部では時の経過による劣化を免れていないと思います。
このアルバムは当時最先端の音楽でしたから尚更。
しかし細部の新鮮さが失われているにもかかわらず、依然このアルバムは飛び抜けた作品です。
たとえば古い名画には時代を感じさせながらも、価値が不変の映画があります。
私はこのアルバムについて、同じような考えを持っています。
むしろ真の傑作は、長い年月の経過を経て初めて明らかになるのかもしれません。
私はこの記事を書くにあたり、久しぶりにこのアルバムを聞きました。
その中でこの曲はアルバム中、細部を含めて最も鮮度を保っていると思いました。
音楽的な価値は不変でありながら、表面的な劣化を最低限で免れていて、今も新鮮な驚きを与えてくれる曲だと思います。
2位「Small Talk」(アルバム:Cupid & Psyche 85)
■曲名:Small Talk
■曲名邦題:スモール・トーク
■アルバム名:Cupid & Psyche 85(1985年)
■アルバム名邦題:キューピッド&サイケ85
■動画リンク:「Small Talk」
曲の順位を決める時、曲の良し悪しではなくアルバムの収録順に並べたい時があります。
この記事の1位と2位は「Cupid & Psyche 85」の1曲目と2曲目と同じ並び順にしました。
そうすることにより、初めて聞く方に当時の私の驚きを追体験してほしいと思いました。
さてこのバンドの中心人物は、グリーン・ガートサイド(Green Gartside)。
彼はバンドのメイン・ソングライターとリードシンガーであり、時にはギターとキーボードも演奏します。
ただこのアルバムでは、バンドのメンバーや外部の人材との相互作用が大きかったと思われます。
たとえばこの曲の印象的なリズムは、サイモン・クライミー(Simon Climie)がプログミングしたもの。
またアルバムを通じて、新加入のキーボード奏者デイビット・ガムソン(David Gamson)は大きな貢献をしました。
デイビット・ガムソンはこのアルバムのハイライト4曲をグリーンと共作し、5曲でアレンジを担当しています。
ドラマーのフレッド・マー(Fred Maher)も演奏だけでなく、3曲でドラム・プログラミングを担当しました。
グリーンを過小評価はできませんが、多くの人がかかわった結果としてこの傑作ができことを申し添えておきたいと思います。
3位「Perfect Way」(アルバム:Cupid & Psyche 85)
■曲名:Perfect Way
■曲名邦題:パーフェクト・ウェイ
■アルバム名:Cupid & Psyche 85(1985年)
■アルバム名邦題:キューピッド&サイケ85
■動画リンク:「Perfect Way」
この曲はマイルス・デイヴィス(Miles Davis)がカバーしたことで知られています。
さて当時このバンドが高く評価されたのは、知的で先端的なイメージもあったかもしれません。
当時彼らの曲にはジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズ、ジャック・ラカンなど、難解な現代思想家が引用されていました。
ともすればこうした引用や言及は、軽薄になりがちかもしれません。
小難しい言葉を散りばめたからといって何かと冷笑を浴びかねませんし。
しかし彼らの計算され尽くしたサウンドには1980年代特有の知的刺激があり、結果としてポップと高踏を併せ持ったイメージ戦略になりました。
マイルスだけでなく、坂本龍一など知性派アーティストがこぞって彼らに夢中になりました。
ちなみに小山田圭吾の無人島ディスクはこのアルバムらしいです。
4位「Oh Patti (Don’t Feel Sorry for Loverboy)」(アルバム:Provision)
■曲名:Oh Patti (Don’t Feel Sorry for Loverboy)
■曲名邦題:オー・パティ
■アルバム名:Provision(1988年)
■アルバム名邦題:プロヴィジョン
■動画リンク:「Oh Patti (Don’t Feel Sorry for Loverboy)」
名盤と呼ばれる中には時々奇跡的な作品があります。
それは単に質の高さのことだけではありません。
たまたまその時の様々な状況がかみ合って化学反応を生み、神がかった作品ができ上った偶然性の産物のような。
このバンドでいえば、前作「Cupid & Psyche 85」がそれでした。
しかしその魔法が解けた時、アーティストの本当の実力が問われるものです。
彼らは「Cupid & Psyche 85」の次作にあたるこのアルバムで真価が問われました。
このアルバムは魔法が解けた人間界の作品としては上々の出来です。
前作「Cupid & Psyche 85」からの3年間、彼らは徹底的に分析され、使える部品を抜き取られました。
特に1980年代後半のR&Bでは、彼らのサウンドがよく模倣されましたから。
そんな折リリースされたこのアルバムで彼らは、完成度の高さでリスナーの期待を軟着陸させました。
5位「First Boy in This Town (Lovesick)」(アルバム:Provision)
■曲名:First Boy in This Town (Lovesick)
■曲名邦題:ファースト・ボーイ・イン・ジス・タウン
■アルバム名:Provision(1988年)
■アルバム名邦題:プロヴィジョン
■動画リンク:「First Boy in This Town (Lovesick)」
この記事では最初の3枚に絞って選曲しました。
その後リリースされた「アノミー&ボノミー(Anomie & Bonhomie)」と「ホワイト・ブレッド・ブラック・ビア(White Bread Black Beer)」も悪い出来ではありません。
しかし10選という制限を考えると、後期2枚の曲を選べないと思いました。
さて一般的に彼らの最高傑作は「Cupid & Psyche 85」です。
ただ初期の3作はどれもすばらしい出来で、人によっては他の作品が一番と考えてもなんら不思議はありません。
このアルバムは他の2枚に比べて聞きやすく、ソウル・ミュージックの影響がストレートに出ています。
「Cupid & Psyche 85」でブレイクした後、グリーンには2つの選択肢があったかもしれません。
1つは刺激的で先端的な存在であり続けること。
2つ目は聞きやすい大衆路線に軌道修正すること。
このアルバムを聞く限り、私は後者を選んだように思います。
6位「Asylums in Jerusalem」(アルバム:Songs to Remember)
■曲名:Asylums in Jerusalem
■曲名邦題:アサイラムズ・イン・エルサレム
■アルバム名:Songs to Remember(1982年)
■アルバム名邦題:ソングス・トゥ・リメンバー
■動画リンク:「Asylums in Jerusalem」
デビュー・アルバムの曲です。
いきなり曲調が変わったと思われるかもしれません。
ただ最初期の彼らは、この路線とも異なる音楽性でした。
以下の曲は、1978年にリリースされたファースト・シングルです。
Scritti Politti – Skank Bloc Bologna
彼らは元々セックス・ピストルズ(Sex Pistols)のライブがきっかけで結成されたパンク・バンド。
大学を卒業したグリーンは、不法占拠した家に住みながらバンド活動していました。
その後1982年ラフ・トレードからこのファースト・アルバムがリリースされました。
この時期の音楽性は形容しがたいですが、あえて言えばストレンジ・ポップとかアヴァン・ポップでしょうか。
この曲のコーラスには、後にソウル色を強める萌芽を感じます。
7位「Wood Beez (Pray Like Aretha Franklin)」(アルバム:Cupid & Psyche 85)
■曲名:Wood Beez (Pray Like Aretha Franklin)
■曲名邦題:ウッド・ビーズ(アレサ・フランクリンに捧ぐ)
■アルバム名:Cupid & Psyche 85(1985年)
■アルバム名邦題:キューピッド&サイケ85
■動画リンク:「Wood Beez (Pray Like Aretha Franklin)」
彼らはデビュー・アルバムをリリースした後、ラフ・トレードともめて契約を解消しました。
その後彼らは移籍先を探そうと、各社にデモテープを送りました。
そうしたテープの1つは、大物プロデューサーのアリフ・マーディン(Arif Mardin)の耳に留まりました。
アリフ・マーディンは本作において、この曲を含む5曲でプロデュースを担当しています。
その結果このセカンド・アルバムは本国イギリスで5位、アメリカでも50位を記録し、ゴールドディスクを獲得しました。
成功の一因として、私はアリフ・マーディンの貢献が大きかったと思います。
アリフ・マーディンはソウルとポップのバランスを取り、売れる音楽にまとめ上げることに長けた人。
この曲はアレサ・フランクリンに捧げられていますが、アリフはアレサのレコーディングにヴィブラフォン奏者として参加した経験のある人です。
実際この曲はCupid & Psyche 85」のファースト・シングルとなり、本国イギリスで10位とヒットしました。
アリフ・マーディンは、経験不足のアーティストのポテンシャルを引き出すのに最適な人だったように思います。
8位「Boom! There She Was」(アルバム:Provision)
■曲名:Boom! There She Was
■曲名邦題:ブーン・ゼア・シー・ワズ
■アルバム名:Provision(1988年)
■アルバム名邦題:プロヴィジョン
■動画リンク:「Boom! There She Was」
当初からグリーン・ガートサイドは、商業的でポップな音楽をやりたかったようです。
つまり彼は売れる音楽をやりたかったのですね。
彼は初期に彼が属していたパンクやインディーズのコミュニティに批判的でした。
彼はより多くの人に音楽を届けたかったようですが、そんな彼にとって当時の環境は閉鎖的でカルト的に見えていたようです。
そんな中次第に彼はアメリカのR&Bやファンク、ディスコに傾倒していきました。
この曲と以下の曲には、ザップ(Zapp)のロジャー・トラウトマン(Roger Troutman)が参加しています。
Scritti Politti – Sugar and Spice
ちなみにグリーンは1986年、チャカ・カーンに以下の曲を提供しています。
Chaka Khan – Love of a Lifetime
ただこのメインストリーム路線は本来彼がやりたかったこととはいえ、必ずしもファンのニーズとは合致してはいなかったかもしれません。
そのギャップは、後にヒップホップ色を強めた次作「Anomie & Bonhomie」で表面化しました。
9位「The Sweetest Girl」(アルバム:Songs to Remember)
■曲名:The Sweetest Girl
■曲名邦題:ザ・スウィーテスト・ガール
■アルバム名:Songs to Remember(1982年)
■アルバム名邦題:ソングス・トゥ・リメンバー
※上のジャケはシングルのもの
■動画リンク:「The Sweetest Girl」
※動画はシングル・バージョン
グリーンが書くメロディは全てがそうではないにしても、ある特徴があります。
たとえばこの曲などは眠そうですが、そこに彼らしさを感じます。
この曲はマッドネスにカバーにされました。
当時グリーンは売れ線にシフトしようと、メロディ志向を強めていました。
この曲はそれほど売れ線には思えませんが、イギリスのインディチャートで3位を記録しています。
まあ当時のイギリスはジョイ・ディビジョンが売れっ子でしたし、日本人の売れ線とは感覚が違うかもしれません。
ただ当時彼らの人気はインディーズ限定で、グリーンは所属していたラフ・トレードのプロモーション不足にかなり不満だったようです。
もし彼が当時の状況に満足していたら傑作「Cupid & Psyche 85」は生まれなかったかもしれません。
10位「Faithless」(アルバム:Songs to Remember)
■曲名:Faithless
■曲名邦題:フェイスレス
■アルバム名:Songs to Remember(1982年)
■アルバム名邦題:ソングス・トゥ・リメンバー
■動画リンク:「Faithless」
グリーンは次第にR&B色を強めていきましたが、その方向性には1つ問題がありました。
R&Bではボーカルが大きな比重を占めています。
つまりボーカルの存在感が不可欠なジャンルです。
しかしグリーンのボーカルは中性的で線が細く、声量もありません。
彼はアレサ・フランクリンにあこがれていましたが、彼女のように歌一本で圧倒することができません。
そのためサウンドが分厚くなると、バックの音に埋没しそうになります。
ちなみにグリーン・ガートサイドは健康面で不安を抱えていたそうです。
そうしたフィジカルの状態は歌にも表れていましたが、そんなことは彼自身誰よりも分かっていたかもしれません。
「Cupid & Psyche 85」があれほど成功したのは、整理されたすき間の多いサウンドと彼の声の相性が良かったから。
彼の音楽が内包する真の革新性は、虚弱体質の白人でも魅力的なソウル・ミュージックが可能であることを示したことかもしれません。
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