今回は坂本龍一のランキングを作成しました。
彼のキャリア全編を振り返ってみました。
とても多作な人なので、良い曲を網羅することはできません。
しかしどうしたら少ない曲数で彼の魅力を分かってもらえるのか考えながら選曲してみました。
- 1 1位「禁じられた色彩」(アルバム:戦場のメリークリスマス)
- 2 2位「AMORE」(アルバム:ビューティ)
- 3 3位「Ballet Mécanique」(アルバム:未来派野郎)
- 4 4位「新日本電子的民謡」(アルバム:千のナイフ)
- 5 5位「SELF PORTRAIT」(アルバム:音楽図鑑)
- 6 6位「The Other Side of Love」(アルバム:The Very Best of gut Years 1994-1997)
- 7 7位「エナジー・フロー」(アルバム:ウラBTTB)
- 8 8位「ライオット・イン・ラゴス」(アルバム:B-2ユニット)
- 9 9位「レイン」(アルバム:ラストエンペラー)
- 10 10位「千のナイフ」(アルバム:千のナイフ)
- 11 11位「FREE TRADING」(アルバム:ネオ・ジオ)
- 12 12位「ADAGIO」(アルバム:ビューティ)
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- 15 他ブログ・SNS等
1位「禁じられた色彩」(アルバム:戦場のメリークリスマス)
■曲名:Forbidden Colors
■曲名邦題:禁じられた色彩
■アルバム名:Merry Christmas, Mr. Lawrence
■アルバム名邦題:戦場のメリークリスマス
■動画リンク:「禁じられた色彩」
この曲は「メリー・クリスマス ミスターローレンス(Merry Christmas, Mr. Lawrence)」のボーカル・バージョンです。
念のため、メインテーマのリンクも貼っておきます。
どちらをご紹介するか随分迷いましたが、あまり知られていないボーカル入りの方をご紹介してみました。
この曲のボーカルは、デヴィッド・シルヴィアン(David Sylvian)。
歌メロと歌詞は、デヴィッド・シルヴィアンが担当したようです。
歌詞は映画の物語をふまえた同性愛を連想させるものですが、坂本龍一はゲイではありません。
しかしこの前年彼は、忌野清志郎とのキスシーンが話題となった「い・け・な・い ルージュマジック」を発表しています。
当時は今よりはるかに同性愛がタブー扱いされていました。
当時の坂本龍一は、妖しい魅力を放つ傾奇者でした。
2位「AMORE」(アルバム:ビューティ)
■曲名:AMORE
■アルバム名:BEAUTY
■アルバム名邦題:ビューティ
■動画リンク:「AMORE」
坂本龍一の音楽はせつなく官能的です。
この曲の名前は「AMORE」つまり「愛」という意味。
この曲の歌詞を書いたのは、資質的に似ているアート・リンゼイ(Arto Lindsay)です。
2人は美しい音楽をベースに、官能的なノイズで味付けをする手法を好んでいました。
この曲の歌詞では「おはよう。こんばんは。あなたは今どこにいるの?」という言葉を繰り返しています。
どこにいるのか分からない相手に毎日呼びかける、とても切ない歌詞です。
そこに加わるアート・リンゼイかエディ・マルティネス(Eddie Martinez)の激しくて軋んだギター。
そしてユッスー・ンドゥール(Youssou N’Dour)の刺さる声。
私は5分に満たないこの曲を聞くと、せつなく官能的な恋愛映画を見終わった後のような気分になりまます。
3位「Ballet Mécanique」(アルバム:未来派野郎)
■曲名:Ballet Mécanique
■アルバム名:未来派野郎
■動画リンク:「Ballet Mécanique」
私は訃報のニュースを読んで初めて坂本龍一の好きな言葉を知りました。
坂本が好んだ一節として、古代ギリシアの医学者ヒポクラテスの「箴言」の一節「Ars longa, vita brevis(芸術は長く、人生は短し)」が訃報とともに紹介されている。
この曲の「オンガク イツマデモツヅク オンガク」という歌詞は当時の妻、矢野顕子が書きました。
おそらく坂本龍一の考え方を理解した上での言葉だと思われます。
晩年の彼は、忍び寄る死を身近に感じていました。
手術は20時間にも及び、発表後も転移した肺の摘出手術など6度に渡る手術が行われた[39]。音楽活動再開に向けて入院治療に専念しつつ、『新潮』2022年7月号より「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」の連載を開始した[39]。
私は彼の音楽が後世でも聞かれることを願っています。
4位「新日本電子的民謡」(アルバム:千のナイフ)
■曲名:DAS NEUE JAPANISCHE ELEKTRONISCHE VOLKSLIED
■曲名邦題:新日本電子的民謡
■アルバム名:Thousand Knives
■アルバム名邦題:千のナイフ
■動画リンク:「新日本電子的民謡」
1978年にリリースされた初のソロ・アルバムです。
この時彼は若干26歳で、同年イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成しました。
後の姿からは想像できませんが、当時の彼はこんな感じだったのだとか。
若い頃は自分の見た目に無頓着で、アルバム「千のナイフ」のジャケット写真を見た当時の音楽仲間が「あの汚い坂本が」と驚愕したほどだった過去を持つ。
このような坂本がファッションセンスを得るに至ったのは、高橋幸宏の指導によるものである。
このアルバムでは彼自身の文章が掲載されています。
一部を引用しましょう。
嘆いて、救われないということすら忘れている、救われない人たちに、その救われなさを一緒に歌ってほしいと思っている。ホントは、一緒に死んでください。
「千のナイフ」ライナーノーツから坂本龍一の文章を引用
そしてこの曲名。
何を言いたいかというと、当時の彼はこじれた人だったということ。
しかしその過剰なエネルギーは「世界のサカモト」と呼ばれる原動力になりました。
私はこの頃の無軌道でアナーキーなところが割りと好きです。
5位「SELF PORTRAIT」(アルバム:音楽図鑑)
■曲名:SELF PORTRAIT
■アルバム名:Illustrated Musical Encyclopedia
■アルバム名邦題:音楽図鑑
■動画リンク:「SELF PORTRAIT」
このブログは取り上げたアーティストのファンになってもらうことを考え、選曲し記事を書いています。
そのため聞きやすい曲を多めにしています。
しかしこの人については、こういうポップな曲を好む人は少なくないかもしれません。
ちなみに彼は自分の弱点はリズムだと言っているようです。
確かに「B-2ユニット」以外ではそう感じなくもありませんが、一方でそれが弱点とは言い切れないかもしれません。
圧倒的なメロディメイカーは、上ものだけで名曲になってしまうので、リズムを凝ると詰め込みすぎになります。
トッド・ラングレン(Todd Rundgren)やポール・マッカートニー(Paul McCartney)の曲はリズムが凝っていませんが、そんなこと誰も気にしていません。
この曲もリリカルなメロディがすばらしいですね。
メロディメイカーとしての坂本龍一を堪能したい曲です。
6位「The Other Side of Love」(アルバム:The Very Best of gut Years 1994-1997)
■曲名:The Other Side of Love
■アルバム名:The Very Best of gut Years 1994-1997
■動画リンク:「The Other Side of Love」
「坂本龍一 featuring Sister M」名義の曲です。
「Sister M」とは、坂本龍一と矢野顕子との間に生まれた娘、坂本美雨のこと
この時彼女は16歳でしたが、当時正体は明かされなかったそうです。
この曲は「ストーカー 逃げきれぬ愛」というTVドラマの主題歌に採用されています。
さてここで彼のベスト・アルバムについて、少し触れておきましょう。
この人のベスト盤はとても多く、現時点で17作。
しかし曲目を見る限り、キャリア全般をカバーする包括的なベスト盤はありません。
そもそも彼の活動はあまりに多岐に渡り、多作すぎます。
加えて頻繁にレーベル移籍していることもあり、キャリア全般をカバーするのはほぼ困難です。
この記事は彼のキャリア全般から選曲しましたが、12曲では少なすぎるかもしれません。
この人は根本的にベスト盤では済まない人かもしれません。
7位「エナジー・フロー」(アルバム:ウラBTTB)
■曲名:energy flow
■曲名邦題:エナジー・フロー
■アルバム名:ウラBTTB
■動画リンク:「エナジー・フロー」
この曲は「リゲインEB錠」のCMソングに採用されました。
この曲は当時大ヒットになりました。
インストゥルメンタルのシングルとしては初めて、週間のオリコンチャート1位を記録[4][5][6][注釈 3]。
その後も10週連続でトップ10入りし、累計155.0万枚(オリコン調べ)または累計180万枚(公称)[7]を記録した。
代表曲の1つと言える曲です。
私は時々無性に彼のピアノ曲が聞きたくなります。
私がおすすめするピアノ・アルバムは「プレイング・ザ・ピアノ2009ジャパン(Playing the Piano 2009 Japan)」。
そちらにもこの曲は収録されています。
8位「ライオット・イン・ラゴス」(アルバム:B-2ユニット)
■曲名:Riot in Lagos
■曲名邦題:ライオット・イン・ラゴス
■アルバム名:B-2 UNIT
■アルバム名邦題:B-2ユニット
■動画リンク:「Riot in Lagos」
このアルバムの頃、彼はYMOの人気が加熱していることに嫌気が差していて、脱退しようとしていました。
1980年当時のYMOはアルバム『パブリック・プレッシャー』がオリコン初登場1位となる等、日本国内で注目された時期だったが、状況に嫌気が差した坂本は脱退を考えており、アルファレコードに対してYMO残留との交換条件でこのアルバムの制作費を出資させている[3]。
YMO人気に反発するあまり、この作品はアブストラクトで実験色が強くなったかもしれません。
さてこのアルバムは、ダブの手法が取り入れられています。
この曲のエンジニアに奇才デニス・ボーヴェル(Dennis Bovell)が起用されていますし。
この後彼は無事YMOに留まり、翌年「左うでの夢(LEFT HANDED DREAM)」を発表しています。
そのアルバムからも1曲ご紹介しておきましょう。
9位「レイン」(アルバム:ラストエンペラー)
■曲名:Rain (I Want a Divorce)
■曲名邦題:レイン
■アルバム名:The Last Emperor
■アルバム名邦題:ラストエンペラー
■動画リンク:「レイン」
彼はクラシックから強く影響されています。
その影響は特に映画のサウンドトラックにて顕著に表れています。
この曲はサントラの代表作といえる「ラストエンペラー」で使用されました。
彼はこのアルバムでアカデミー賞作曲賞とグラミー賞最優秀オリジナル映画音楽アルバム賞を受賞しています。
もし音楽にノーベル賞があったら受賞していたかもしれません。
ちなみに私は普段クラシックを聞く習慣はありません。
しかし例外的にバッハとべートーベン、ドビュッシーを聞くことがあります。
私がドビュッシーを好むのは、明らかに坂本龍一の影響です。
聞いていると、坂本龍一っぽいと感じることがありますし。
もちろん逆だとは思いますが(笑)
本当の彼の偉大さは受賞歴よりも、リスナー1人1人にこういう影響を与えたことかもしれません。
10位「千のナイフ」(アルバム:千のナイフ)
■曲名:THOUSAND KNIVES
■曲名邦題:千のナイフ
■アルバム名:Thousand Knives
■アルバム名邦題:千のナイフ
■動画リンク:「千のナイフ」
坂本龍一は1952年1月17日生まれです。
彼は3歳からピアノを習い始め、10歳から作曲を学び始めたそうです。
その後彼は東京芸術大学の音楽学部作曲科を卒業し、大学院課程を終えています。
彼は教授というニックネームが有名ですが、博士ではありません。
教授というニックネームは、高橋幸宏が名付けたのだとか。
後に彼はサウンドストリートというNHKのラジオ番組で、火曜日のパーソナリティを務めていました
そのラジオ番組で彼はリスナーからデモテープを募集していて、意欲的なクリエイターの実力試しの場になっていました。
確かテイ・トウワも応募したことがあるというインタビューを読んだことがあります。
彼は教授と呼ばれるにふさわしい、教育者としての役割も担っていたようです。
11位「FREE TRADING」(アルバム:ネオ・ジオ)
■曲名:FREE TRADING
■アルバム名:Neo Geo
■アルバム名邦題:ネオ・ジオ
■動画リンク:「FREE TRADING」
この曲はカバー曲です。
おしゃれテレビのアルバム『おしゃれテレビ』収録の「アジアの恋」を、坂本が「自分で作った曲より坂本っぽい」といたく気に入りカヴァーした。
坂本龍一はこだわりが強い人です。
しかしその仕事ぶりを追ってみると、意外なほど風通しの良さを感じます。
そこがこの人の一番すごいところかもしれません。
この時期の彼は、YMOや「戦場のメリークリスマス」の成功で、創作上の自由を得ていました。
このアルバムには、イギー・ポップ(Iggy Pop)が参加した「RISKY」という曲があります。
ヴォーカルはイギー・ポップ。メロディーラインは坂本・ビルが作ったバックトラックにのせて、イギーが勝手に歌った。
思えば昔からこの人はこういう人でした。
彼は立場的に、自分のこだわりを細部まで反映させられたはずです。
しかし彼はいつも他者との関係性から生まれる偶発性に賭けていたのです。
だからこそ毎回自分を刺激してくれる有能なアーティストと共演したがりました。
音楽家としてのスケールの大きさは、そのあたりが関係しているかもしれません。
12位「ADAGIO」(アルバム:ビューティ)
■曲名:ADAGIO
■アルバム名:BEAUTY
■アルバム名邦題:ビューティ
■動画リンク:「ADAGIO」
最後に私の一番好きな曲をご紹介します。
この曲を聞くと、坂本龍一というアーティストがどういう人かよく分かります。
この人はビル・エバンス(Bill Evans)と少し似ているかもしれません。
硬質でリリカルで、ドビュッシーの末裔で、ピアノが好きすぎて、頭の中は美のことで一杯です。
最後にもう1曲彼の曲をご紹介しましょう。
坂本龍一 – Merry Christmas Mr. Lawrence(2022)
2022年12月11日の演奏です。
翌年3月28日、彼は亡くなりました。
彼の演奏には、常にある種の潔さがありました。
あくまで表面的に鳴っている音が全てなのだと。
しかし、2022年のこの演奏の5:06からをお聞きください。
本来彼はこういうもったいぶった演奏を嫌っていたはず。
その矜持こそが、スマートな彼の魅力でした。
しかし5:06からの別れを惜しかむようなその演奏に、私は彼の執着を感じます。
死の直前のビル・エバンスのエピソードをご紹介します。
末期のビル・エバンスは指が腫れあがり、1つのキーを押すと隣のキーも押してしまう状態で、周囲が止めてもなおピアノを弾こうとしました。
ビル・エバンスが病院に運び込まれた時は、医者があきれるほどの手遅れだったそうです。
晩年のビル・エバンスは、美のことしか考えられないと言っていました。
しかし日本にも1人、同じようなピアノ狂がいます。
末期の坂本龍一も最後までピアノを弾きたがっていました。
死の4か月前どうにかピアノが弾けたこの動画の頃、彼の指はやせ細っていて、とても痛々しいです。
しかしそのやせ細った指には、凄みのある美が宿っていました。
彼は業を感じさせるほどの音楽の美を教えてくれた人でした。
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