今回ははっぴいえんどのランキングを作成しました。
彼らは後世のバンドに大きな影響を与えました。
レジェンドという神棚に乗せたままにせず、しっかり味わい尽くしたいバンドです。
1位「風をあつめて」(アルバム:風街ろまん)
■曲名:風をあつめて
■アルバム名:風街ろまん
■動画リンク:「風をあつめて」
このバンドの代表曲です。
しかし改めてディスコグラフィを確認してみたところ、シングルのA面にこの曲がありません。
シングルを収録した「シングルスはっぴいえんど」にも、この曲は収録されていません。
一番の有名曲ですが、B面としてクレジットされているのみです。
多くの人にカバーされ、CM曲にも使われ、ソフィア・コッポラ監督の映画「ロスト・イン・トランスレーション(Lost in Translation)」にも使われた曲です。
これらの事実が示しているのは、この曲は解散後に人気が出たということ。
シングルのA面に選ばれない曲が、いつの間にか希代の名曲と言われるようになったのですね。
「風をあつめて」という曲名も、まるで映画のタイトルのようです。
その後作詞家の頂点に昇りつめた松本隆は、この曲にふさわしい曲名と歌詞を提供しました。
2位「風来坊」(アルバム:HAPPY END)
■曲名:風来坊
■アルバム名:HAPPY END
■動画リンク:「風来坊」
このバンドはいわゆるスーパーバンドといってもいい存在でした。
細野晴臣:ボーカル・ベース・キーボード
大瀧詠一:ボーカル・ギター
松本隆:ドラム
鈴木茂:ボーカル、ギター
ただ彼らが音楽史に大きな足跡を残す存在と認められたのは、解散してからの話。
はっぴいえんど出身だから有名になったのではなく、独立後にそれぞれが個の力で台頭しました。
手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫などが住んでいたトキワ荘の音楽版みたいな感じかもしれません。
ただ個の力がありすぎるゆえ、彼らはバンドに依存する必要がありませんでした。
さてこの曲の名前「風来坊」。こういう意味の言葉です。
どこからともなく現れてはどこへともなく去っていく人のこと。
はっぴいえんどはスタジオ・アルバムが3枚だけで解散しました。
しかも3作目の時点で既に個人の活動に移行していました。
このアルバムはその3作目。
風来坊とは、彼ら自身のことだったかもしれません。
3位「あしたてんきになあれ」(アルバム:風街ろまん)
■曲名:あしたてんきになあれ
■アルバム名:風街ろまん
■動画リンク:「あしたてんきになあれ」
彼らの最高傑作について聞かれたら、私はURC時代のセカンド「風街ろまん」を推します。
理由は極めてシンプルで、良い曲が多すぎること。
おかげで傑作「花いちもんめ」でさえ、選外にせざるを得ませんでした。
この曲は、カーティス・メイフィールド(Curtis Mayfield)のようなファルセット・ボーカルが印象的な曲です。
このボーカルは細野晴臣で、曲も彼が書いています。
その後細野晴臣は、ソロやYMOなどの活躍で更に名声を高めました。
彼は作曲家としても、松田聖子などに曲を提供した売れっ子です。
ただその実力はこの時明らかでした。
なにせ他に大瀧詠一がいるのにもかかわらず、この記事の上位3曲は全て彼が書いた曲なのですから。
4位「12月の雨の日」(アルバム:はっぴいえんど)
■曲名:12月の雨の日
■アルバム名:はっぴいえんど
■動画リンク:「12月の雨の日」
このアルバムは「ゆでめん」と呼ばれています。
彼らは日本語とロックを融合しただけでなく、日本的な情緒を持ったバンドでした。
今回初めて彼らのウィキペディアを読んで、私はある文章に注目しました。
細野晴臣は、メンバーは宮沢賢治に影響を受けており、その世界観がバンドの音楽性にも影響を与えていると述べている[3]。
私の中で腑に落ちるものがありました。
うらさびれたものに対する温かみのある視線、和の感覚を持ちつつごく自然な和洋折衷の感覚。
加えて感情の濁りを感じさせない世界観。
この曲のサウンドはロックっぽいですが、日本的情緒と見事融合しています。
5位「相合傘」(アルバム:HAPPY END)
■曲名:相合傘
■アルバム名:HAPPY END
■動画リンク:「相合傘」
サード・アルバムにしてラスト・アルバムの曲です。
このレコーディング前には既に解散が決定していて、各自ソロ活動に移行していました。
このアルバムは、アメリカでレコーディングするという誘い文句なしでは実現しなかったかもしれません。
この曲は細野晴臣も書いた曲です。
軽快でファンキーなリズムは、後にリズムの沼にはまっていく細野晴臣らしいと感じます。
このアルバムに参加した、リトル・フィート(Little Feat)の2人、ローウェル・ジョージ(Lowell George)とビル・ペイン(Bill Payne)のの参加も刺激になったに違いありません。
リトル・フィートは後年、矢野顕子とも共演していますが、当時日本のアーティストに大きな影響を与えた存在でした。
そしてプロデューサーは、ヴァン・ダイク・パークス(Van Dyke Parks)。
私はヴァン・ダイク・パークスと細野晴臣の両者に似た資質を感じます。
6位「暗闇坂むささび変化」(アルバム:風街ろまん)
■曲名:暗闇坂むささび変化
■アルバム名:風街ろまん
■動画リンク:「暗闇坂むささび変化」
彼らは不思議なバンドです。
最強の布陣、大瀧詠一、細野晴臣、鈴木茂がそろいながらも、作詞担当の松本隆にラスボス感がありました。
うろおぼえですが、大瀧詠一がはっぴいえんどは松本隆のバンドだったという発言をしていたように記憶しています。
当初他のメンバーは英語で歌うことを想定していたようですが、松本隆の存在により日本語で歌うことにしたようです。
松本隆は強烈なイメージ喚起力を持った、言葉を自由自在に操る天才でした。
詩人並みの言語能力を持つ人間が、たまたま音楽をやっていたという僥倖。
ウィキペディアによると、彼はジャックスの楽曲「からっぽの世界」の歌詞に影響を受けたそうです。
曲と歌詞を引用しておきましょう。
ロックと詩的な感性が出会ってできた巨大なモニュメント、それがはっぴいえんどというバンドでした。
7位「空いろのくれよん」(アルバム:風街ろまん)
■曲名:空いろのくれよん
■アルバム名:風街ろまん
■動画リンク:「空いろのくれよん」
このアルバムの存在は、後続の才能あるアーティストを影響下に置き呪縛しました。
才能ある人ほどこの作品に惹かれます。
しかしこの作品を意識したらどうしても似てしまうし、似てしまったらこのアルバムを超えられず、はっぴいえんどフォロワーと言われるのは避けられません。
そういう類の呪縛です。
その呪縛の脱出困難性は、ビーチボーイズ(The Beach Boys)のペット・サウンズ(Pet Sounds)を彷彿とさせます。
まるで以下のイーグルス(Eagles)「ホテル・カルフォルニア(Hotel California)」で描かれた世界。
「いつでもここを立ち去ることができるのに、誰も出ていこうといない」
センチメンタル・シティ・ロマンスを始め、くるりやサニーデイ・サービスのファーストなどは、はっぴいえんどの影響なしに語れません。
ちなみに今回私はアメリカ版ウィキペディアを興味深く読みました。
日本ウィキペディアよりも詳しく解説されていますが、それらについて語ると記事が長くなりすぎますので、ここでは触れません。
興味のある方は、以下のを読んでみてください。
海外向けのサイトで、スパイダーズやゴールデン・カップスと比較され違いを論じられていることには、感慨深いものがあります。
8位「春よ来い」(アルバム:ライブ!! はっぴいえんど)
■曲名:春よ来い
■アルバム名:ライブ!! はっぴいえんど
■動画リンク:「春よ来い」
彼らのスタジオ・アルバムは3枚だけです。
それでは物足りないという方は、このライブ・アルバムをお聞きください。
このライブ盤には、彼ら以外にもココナツ・バンクとの共演や西岡恭蔵の単独曲が含まれています。
このアルバムは、彼らの演奏面の魅力を堪能できます。
はっぴいえんどは、遠藤賢司、岡林信康、加川良、高田渡、小坂忠などのバックでも演奏していました。
日本版ザ・バンド(The Band))みたいな存在だったかもしれません。
さてもう1曲をご紹介しておきましょう。
「SINGLES」というベスト盤の曲ですが、そのアルバムのA面はメンバーのソロ作から選ばれています。
私は大瀧詠一のアルバムに収録されていない以下の曲を聞きたくて買いました。
他には「はっぴいえんどBOX」というボックスセットもあるようですが、私は聞けていません。
9位「はっぴいえんど」(アルバム:はっぴいえんど)
■曲名:はっぴいえんど
■アルバム名:はっぴいえんど
■動画リンク:「はっぴいえんど」
このファースト・アルバムは、当時のアメリカのバンドから影響を受けています。
バッファロー・スプリングフィールドとモビー・グレープがサウンドの根底だった。
この系統の音楽をやる上でのキーマンは、ギターの鈴木茂です。
上のバンドはどれもギター主体のバンドですから。
鈴木茂は当時のアメリカン・ロックを完全に消化していましたが、ソロになると今度は洗練された音楽をやり始めました。
上の曲は鈴木茂のソロ・デビューアルバムの1曲目で、私がとんでもなく好きな曲です。
さてこの曲の歌詞を引用します。
はっぴいえんどならいいさ でも
しあわせなんて どう終わるかじゃない
どう始めるかだぜ
終わりは次の始まりの前段階にすぎず、次の始まりが良ければハッピーエンドだったことになる。そんな感じでしょうか。
彼らは3枚のアルバムの内2枚に「はっぴいえんど」「HAPPY END」と名づけ、この曲名も「はっぴいえんど」。
その後大瀧詠一は「幸せな結末」ヒット曲を生んでいます。
幸せな結末にこだわり続けた男たちは、解散後すばらしいキャリアを築きました。
10位「外はいい天気」(アルバム:HAPPY END)
■曲名:外はいい天気
■アルバム名:HAPPY END
■動画リンク:「外はいい天気」
さて最後に大瀧詠一について少し触れておきましょう。
このバンドは細野晴臣と松本隆が在籍していた、エイプリル・フールというバンドから始まりました。
エイプリル・フールも良いバンドでしたが解散することになり、その後ヴァレンタイン・ブルーというバンドが結成されました。
その時初めて加入したのが大瀧詠一。
彼はオールドタイミー路線をけん引した存在です。
この曲からはニルソン(Nilsson)やバーバンク・サウンドだけでなく、古き良きティンパンアレーの系譜を感じます。
彼らの音楽には、ザ・バンドと同じく当初から古く懐かしいところがあって、それゆえ古くなりません。
彼らの音楽は古いがゆえに常に新しい音楽となりました。
ただ古いというのは、保守的ということではありません。
以下の曲のような実験的な曲もありますし。
どんどん時代が進展してく中で、何か忘れ物がないか探しているような音楽。
しかし時の経過を経てもなお、色あせないモダニズムも備えています。
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