今回はニック・ドレイクのランキングを作成しました。
彼の音楽は一度魅力に開眼するとこれ以上の音楽は存在しないと思えてきます。
ただ魅力に気が付くまで、少し時間がかかる音楽かもしれません。
このランキング記事が彼の音楽の魅力に気付くきっかけになればうれしいです。
- 1 1位「Way to Blue」(アルバム:Five Leaves Left)
- 2 2位「Pink Moon」(アルバム:Pink Moon)
- 3 3位「Northern Sky」(アルバム:Bryter Layter)
- 4 4位「River Man」(アルバム:Five Leaves Left)
- 5 5位「Things Behind the Sun」(アルバム:Pink Moon)
- 6 6位「Magic – Orchestrated Version 2」(アルバム:Made To Love Magic)
- 7 7位「Fly」(アルバム:Bryter Layter)
- 8 8位「Rider on the Wheel」(アルバム:Time Of No Reply)
- 9 9位「Saturday Sun」(アルバム:Five Leaves Left)
- 10 10位「From the Morning」(アルバム:Pink Moon)
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1位「Way to Blue」(アルバム:Five Leaves Left)
■曲名:Way to Blue
■曲名邦題:ウェイ・トゥ・ブルー
■アルバム名:Five Leaves Left
■アルバム名邦題:ファイヴ・リーヴス・レフト
■動画リンク:「Way to Blue」
この曲は映画のラストシーンのような寂寥感のあるストリングスが印象的です。
このアレンジを手がけたのは、ロバート・カービー(Robert Kirby)。
元々はリチャード・アンソニー・ヒューソン(Richard Anthony Hewson)が、ストリングス・アレンジを担当する予定でした。
しかしニックは、その仕事ぶりに不満だったようです。
そこである日プロデューサーのジョー・ボイド(Joe Boyd)に、ストリングス・アレンジを大学の友人に依頼したいと相談しました。
ジョー・ボイドは大変戸惑ったと思われます。
なにせ当時のニック・ドレイクは、20歳か21歳頃という若さでした。
おそらく大学の友人も同じ位の若さで、ただの素人だと思われましたから。
試しにニックの意見を採用したところ、ロバート・カービーの仕事には目を見張るものがありました。
しかし驚いたでしょうね。
どこの馬の骨だと思っていたら、こんなアレンジを提供したのですから。
後にロバート・カービーはエルヴィス・コステロ(Elvis Costello)やポール・ウェラー(Paul Weller)など、多くのアーティストを虜にしました。
ちなみにニック・ドレイクはクラリネットやサックスなど、多くの楽器を演奏できるマルチ・インストゥルメンタリストです。
マルチ奏者は様々な楽器の特性を知っていることから、自然とアレンジに敏感になるものです。
カービーの才能を見出したニックの洞察力が、この名曲を生んだのかもしれません。
2位「Pink Moon」(アルバム:Pink Moon)
■曲名:Pink Moon
■曲名邦題:ピンク・ムーン
■アルバム名:Pink Moon
■アルバム名邦題:ピンク・ムーン
■動画リンク:「Pink Moon」
ニック・ドレイクは、母親モリー・ドレイク(Molly Drake)の資質を、色濃く受け継いでいると言われています。
モリー・ドレイクの歌は、ニックの未発表曲集「ファミリー・トゥリー(Family Tree)」に収録されています。
「Family Tree」つまり「家系図」というアルバム名にご注目ください。
おそらくアルバムを編集した人はニックと母親の関係を意識して、母親の曲を収録したと思われます。
モリーの曲を、1曲ご紹介しておきましょう。
Molly Drake – Do You Ever Remember?
どことなくニックと同じ香りがしないでしょうか。
彼の母親はビルマ(ミャンマー)で見初められ、結婚後異国の地イギリスに渡りました。
モリーは幼い頃のニックに、ピアノを教えたそうです。
このアルバムではこの曲にだけピアノが入っているのは、母親の影響かもしれません。
ニックの死後、モリーは失意の日々を送っていたそうです。
そのモリーも1993年亡くなりましたが、彼女の墓標にはニックの歌詞の一節が刻まれました。
その言葉は後でご紹介しますが、その引用した歌詞から母親がいかにニックを愛していたか分かります。
3位「Northern Sky」(アルバム:Bryter Layter)
■曲名:Northern Sky
■曲名邦題:ノーザン・スカイ
■アルバム名:Bryter Layter
■アルバム名邦題:ブライター・レイター
■動画リンク:「Northern Sky」
当時彼は失意の底にいました。
ファースト・アルバム「Five Leaves Left」は全く売れず、彼は大学での生活にも興味を失っていたようです。
そこで彼は父親に中退したいと手紙を書きました。
父親からの返信には、大学を中退することのデメリットが切々と綴られていました。
もし大学を卒業しておけば、そこで得た学位はあなたの人生にとってセーフティネットになるのだと。
しかし結局ニックは、大学を中退してしまいました。
また同じ頃ニックはジョン・ピール(John Peel)のラジオ番組で、ライブを披露する機会がありました。
その音源は、唯一のライブ・アルバム「The John Peel Session」として記録されています。
彼はそのライブで、自分がライブ向きではない現実に直面しました。
彼は曲によってギターのチューニングを大幅に変えますが、曲の度に調整にかなり時間がかかりました。
彼は異常なほどのプレッシャーの中で、ライブを完遂したそうです。
ライブは最大のプロモーション手段ですが、この後彼はライブ活動をしたがらなくなりました。
この曲の歌詞には、以下のような箇所があります。
私のお金目当てでいいから、私を愛してくれませんか
冬の間ずっと、私を愛してくれませんか
私が死ぬまで、私を愛してくれませんか
ああ、もしあなたがそうしてくれたら
4位「River Man」(アルバム:Five Leaves Left)
■曲名:River Man
■曲名邦題:リヴァー・マン
■アルバム名:Five Leaves Left
■アルバム名邦題:ファイヴ・リーヴス・レフト
■動画リンク:「River Man」
この曲ではハリー・ロバートソン(Harry Robertson)がアレンジを手がけています。
ハリー・ロバートソンは、ハリー・ロビンソン(Harry Robinson)と呼ばれることもあります。
こちらもカービーに負けず劣らず、すばらしい仕事をしていますね。
この曲では他に、ダニー・トンプソン(Danny Thompson)のダブル・ベースが入っています。
また「タイム・ハズ・トールド・ミー(Time Has Told Me)」では、リチャード・トンプソン(Richard Thompson)がギターで参加しています。
先程私は彼が困難な現実に直面していたと書きました。
しかし客観的に見ると、彼は成功する条件を備えていました。
まずケンブリッジ大学に進学した知性。
高校時代は将来を嘱望された短距離選手で、191cmの巨躯を持ちラグビー・チームのキャプテンも任されていました。
姉のガブリエル・ドレイク(Gabrielle Drake)は女優として成功したほどの美貌の女性でしたが、ニックも陰のある美形といえるでしょう。
実家も裕福でしたし。
彼の唯一にして致命的な弱点は、内向的すぎる性格だけでした。
彼は何でもできそうなほどの条件に恵まれていながら、不器用な生き方を選ぶしかありませんでした。
しかし彼は内気な人にとって大切な音楽を残しましたので、角度を変えると彼の人生は決して無駄とはいえません。
5位「Things Behind the Sun」(アルバム:Pink Moon)
■曲名:Things Behind the Sun
■曲名邦題:シングス・ビハインド・ザ・サン
■アルバム名:Pink Moon
■アルバム名邦題:ピンク・ムーン
■動画リンク:「Things Behind the Sun」
彼の音楽の魅力を人に説明するのは、とても難しいかもしれません。
よく暗いといわれますがブリティッシュ・フォークはそういうものですし、彼だけが暗いわけではありません。
このアルバムは彼の最高傑作と言われています。
このアルバムは、とても簡素な編成で録音されました。
ニックの「飾りは何もいらない」という意向により[5]、ニック自身の歌とギターとピアノだけで制作され、1972年2月に発表された。
わずか2日というレコーディング期間で、全編28分のこのアルバムが出来上がりました。
当時アイランド・レコード(Island Records)のスタッフは、彼がアルバムの宣伝に消極的であることを問題視していたようです。
それでもニックは心を許せる数少ない友人ジョン・ウッド(John Wood)に、レコーディングしたいと訴えました。
ジョン・ウッドは自らプロデューサーを買って出ています。
しかし社内の調整が難航しそうなことは明らかでした。
そこでニックはらしくもなく、社長にテープを渡してリリースを訴えました。
アイランド・レコード社長のクリス・ブラックウェルは、彼の音楽に可能性を感じたそうです。
クリス・ブラックウェルの慧眼により、このアルバムは無事発売にこぎつけました。
しかし現実は厳しくこの作品も売れませんでした。
一説によると、当時の売れ行きは4000枚とか5000枚ほどだったといわれています。
6位「Magic – Orchestrated Version 2」(アルバム:Made To Love Magic)
■曲名:Magic – Orchestrated Version 2
■曲名邦題:マジック(Orchestrated Version 2)
■アルバム名:Made To Love Magic
■アルバム名邦題:メイド・トゥ・ラヴ・マジック
■動画リンク:「Magic – Orchestrated Version 2」
このアルバムはレア・トラック集です。
未発表曲と別アレンジの曲が収録されています。
この曲は当初リチャード・アンソニー・ヒューソン(Richard Anthony Hewson)がアレンジを手がけましたが、ニックはその出来に納得しませんでした。
そちらのバージョンは「Time Of No Reply」に収録されています。
一方こちらのバージョンは、ロバート・カービーがアレンジを担当しました。
さて彼が影響を受けたアーティストは何人かいますが、中でも私は以下の2枚が重要だと考えています。
・ヴァン・モリソン(Van Morrison)「アストラル・ウィークス(Astral Weeks)」
・ティム・バックリィ(Tim Buckley)「ハッピー・サッド(Happy Sad)」
この2枚には確かに彼の音楽と通底するダウナーな耽美があります。
他にもイギリスには、ドノヴァン(Donovan)やロイ・ハーパー(Roy Harper)など、ストレンジ・フォークの系譜があります。
また彼はラヴェルやドビュッシーなども好んでいたようですね。
7位「Fly」(アルバム:Bryter Layter)
■曲名:Fly
■曲名邦題:フライ
■アルバム名:Bryter Layter
■アルバム名邦題:ブライター・レイター
■動画リンク:「Fly」
ファースト・アルバムが不発に終った後、彼は妥協を強いられることになりました。
キャリアを継続するためには、ある程度売れなければいけません。
そこでこのセカンド・アルバムでは、ロック・ポップス色の強い作風になりました。
たとえばこんな曲です。
確かに初めて彼の音楽を聞く人には、ある程度アピールできるかもしれません。
一方「Fly」の方は従来通りの曲で、ジョン・ケイル(John Cale)が、ヴィオラとハープシコードを弾いています。
人は誰しも人生において深刻な問題に直面することがあります。
そういう時には音楽を聞く気にならない人もいるでしょう。
しかし彼は内気な人を象徴する存在。
彼の曲は失意の場面でこそ真価が発揮されるかもしれません。
失意の時彼の音楽はリスナーの魂の奥底でシンクロし、幾分気分を持ち上げてくれます。
8位「Rider on the Wheel」(アルバム:Time Of No Reply)
■曲名:Rider on the Wheel
■曲名邦題:ライダー・オン・ザ・ホイール
■アルバム名:Time Of No Reply
■アルバム名邦題:タイム・オブ・ノー・リプライ
■動画リンク:「Rider on the Wheel」
このアルバムにはリジナルアルバム未収録曲と既存曲の別バージョンが収録されています。
この頃彼の状態は、あまりかんばしくありませんでした。
失意のニックはロンドンを離れ両親の許に戻るが、これと前後してかねてより患っていたうつ病が悪化。
1971年に3作目『ピンク・ムーン』のレコーディングを行った頃には会話をすることさえ困難になっていたという[4]。
彼は音楽のキャリアが終ったことを受け入れて、ウォリックシャーにある実家に戻りました。
一時はスタジオの仕事をしたりプログラマーの勉強を始めるなど、次のキャリアを模索していたようです。
しかし終わりの日はあまりに唐突に訪れました。
1974年11月25日、自宅のニックの部屋で、母モーリーがベッドの上で息絶えているニックを発見する。
死因は抗うつ薬の過剰服用。遺書はなく、自殺か事故なのかは明らかになっていない。
部屋にあったレコードプレーヤーには、バッハの「ブランデンブルク協奏曲」のレコードが乗っていたという[5]。
死因は抗うつ薬の過剰摂取でしたが、検視では自殺だ判断されました。
享年26歳。
この曲は彼が一番最後にレコーディングした曲なのだそうです。
彼は死ぬ前に昔仲の良かった女性に連絡を取ろうとしていました。
その女性は短すぎる彼の人生で、最も恋人に近い存在だったといわれています。
9位「Saturday Sun」(アルバム:Five Leaves Left)
■曲名:Saturday Sun
■曲名邦題:サタディ・サン
■アルバム名:Five Leaves Left
■アルバム名邦題:ファイヴ・リーヴス・レフト
■動画リンク:「Saturday Sun」
シンガーソングライターの音楽は通常、美しいメロディを表現力豊かなボーカルで表現できればすばらしい曲が出来上がります。
しかし彼の音楽は、そういうものとは少し性質が異なるかもしれません。
メロディとかボーカルとか、個別を合計しただけでは説明がつかない感じがします。
メロディが美しい曲は、世の中に沢山あります。
もちろん彼のメロディも美しいと思いますが、属人性が強すぎて一般的な美しさとは違うかもしれません。
またコリン・ブランストーン(Colin Blunstone)のようなソフトでハスキーなボーカルですが、それより更に音域が狭く表現力も豊かとはいえません。
しかし不思議と彼の音楽は、他の多くのシンガーソングライターを凌駕しているように思います。
マイナスを組み合わせた結果生まれた、再現不可能で奇妙に美しい音楽。
諦観や厭世観が昇華され抽出された、精神安定剤に近い音楽かもしれません。
彼の音楽は痛みを感じた時に生成される鎮痛物質に近いように思います。
彼の音楽はある種の人に対して処方箋となりました。
10位「From the Morning」(アルバム:Pink Moon)
■曲名:From the Morning
■曲名邦題:フロム・ザ・モーニング
■アルバム名:Pink Moon
■アルバム名邦題:ピンク・ムーン
■動画リンク:「From the Morning」
彼はめったに自分の内面を明かしませんでしたが、ギターではいつも饒舌でした。
たとえばこの曲です。
彼は人一倍ギターが好きな人だったようです。
またアルバム名の「Pink Moon」は、ピンク色に見える4月の満月のことを指す言葉です。
メランコリーが支配する憂鬱な世界の住人たる彼も、こういう華やいだ月が好きだったのですね。
そう思うと、少し救われた気持ちになります。
彼は死後しばらくしてから評価が高まりました。
2000年、NMEが、当時の現役ミュージシャンからの投票で「最も影響力のあるミュージシャン」を選ぶ調査を行い、ニックが9位に選ばれた[8]。
ザ・キュアー(The Cure)のバンド名は、ニックの「タイム・ハズ・トールド・ミー(Time Has Told Me)」の一節「困った心への困った治療法」から名付けられたそうです。
以下のエピソードもよく知られています。
ドリーム・アカデミーが1985年に大ヒットさせた楽曲「ライフ・イン・ア・ノーザン・タウン」は、ニックに捧げられた[6]。
先程ニックの母親の墓標には、彼の歌詞が刻まれていると申し上げました。
彼女の墓標には、この曲の歌詞が刻まれています。
最後にその一節をご紹介してこの記事を終えたいと思います。
「そして今、私たちは立ち上がり、私たちはどこにでもいる」
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