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尾崎豊(Ozaki Yutaka)の名曲名盤10選【代表曲・隠れた名曲】

今回は尾崎豊のランキングを作成しました。

今回は動画が見つからないため、原曲でご紹介できなかった曲が沢山あります。

代わりにライブ・バージョンでご紹介しましたが、それでもご紹介できなかった曲もあります。

原曲を聞きたい方はCDかサブスクでお聞きください。

 

1位「十七歳の地図」(アルバム:十七歳の地図)

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■曲名:十七歳の地図
■アルバム名:十七歳の地図
■動画リンク:「十七歳の地図」

このデビュー・アルバムがリリースされた時、彼は18歳でした。

おそらく彼がこの曲を書いたのは、17歳だったと思われます。

この曲の歌詞は若者の刹那的な生き方を描写していますが、それは当時の彼のリアルな姿でした。

高校在学中には喫煙やオートバイでの事故などで停学、さらに、高校3年生の時には渋谷で同級生らと飲酒し、同じクラスの女子生徒が一気飲みをした事によって急性アルコール中毒で搬送された挙げ句、その直後には大学生のグループとパトカーが出動するほどの乱闘騒ぎを起こし、無期限停学処分を下される[15]。のちに停学処分は解けたが、出席日数が足りず留年となり、自主退学した。

尾崎豊 ウィキペディア

彼は青山学院高等部という偏差値の高い高校を退学することになりました。

しかし一方で彼は高校2年生の秋、CBS・ソニーのオーデションを受けて合格していました。

これで彼は音楽の道で生きていくしかなくなりました。

音楽で成功を手にした人の足跡をたどると、音楽以外の選択肢がなかった人が散見されます。

尾崎豊もまたこれで音楽しかなくなりましたが、それは彼にとって最善の選択肢となりました。

 

2位「卒業」(アルバム:回帰線)

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■曲名:卒業
■アルバム名:回帰線
■動画リンク:「卒業」

高校の停学明けの後、再び彼は学校に通い始めましたが、その時には既に留年が決定していました。

その後のエピソードをご紹介します。

さらに毎日反省日記を書くよう命じられた尾崎は、必要性を感じないため書くことができないと教師に告げ、教師と押し問答の末に「それじゃ僕は操り人形じゃないですか」と述べたところ、教師から「そうよ、きみは操り人形なのよ」と告げられたことで退学を検討することとなる[5][6]。

卒業 (尾崎豊の曲) ウィキペディア

その後彼は青山学院高等部の卒業式と同日にデビュー・ライブを決行しました。

この曲の歌詞には以下のような箇所があります。

この支配からの卒業

卒業(作詞:尾崎豊)

この一節にはこのような背景があったのですね。

 

3位「Forget-me-not」(アルバム:壊れた扉から)

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■曲名:Forget-me-not
■アルバム名:壊れた扉から
■動画リンク:「Forget-me-not」

この記事ではバラードに偏りすぎないようにしました。

それでも結果的にバラードが多くなりましたが、仕方ないかもしれません。

彼にはバラード名曲が多すぎますから。

この曲では改めてシンガーとしての魅力を確認できます。

彼は訴える力が強すぎるあまり、もはや音楽ではなく、命そのものをぶつけてくるような感じすらします。

全身全霊という言葉が似合う彼の歌は、自身の感情的な負荷も大きかったと思われ、歌う本人にダメージを与えかねませんでした。

ハード・パンチャーすぎて、自らの拳を痛めるボクサーみたいかもしれません。

彼の音楽は感情のリミッターを外したようなところがありました。

 

4位「15の夜」(アルバム:十七歳の地図

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■曲名:15の夜
■アルバム名:十七歳の地図
■動画リンク:「15の夜」

彼は早くから学校になじめませんでした。

小学校では不登校、中学校では停学、高校は退学しています。

ただ中学校の時は生徒会副会長、文化祭実行委員長をしていたそうですから、人望はあったのだと思われます。

ウィキペディアに書かれている交友関係からも、彼が孤立していた様子はうかがえません。

むしろ社交的ではないかと思われるほどです。

ちなみに昔、吉川晃司が親友である尾崎豊の形見のギターを蹴った人に暴力をふるった事件がありました。

尾崎豊は仲間思いの人だったようです。

彼は権威を振りかざす大人を嫌悪していましたが、決して人間嫌いではありませんでした。

抑圧への反発が人一倍強かっただけだったと思います。

 

5位「路上のルール」(アルバム:壊れた扉から)

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■曲名:路上のルール
■アルバム名:壊れた扉から
■動画リンク:「路上のルール」

彼の音楽は以下のアーティストから影響を受けています。

ジャクソン・ブラウン、ブルース・スプリングスティーン、ビリー・ジョエル、浜田省吾、佐野元春、井上陽水、アナーキー、甲斐バンド、さだまさしなどから強い影響を受けている[3][7][8]。

尾崎豊 ウィキペディア

特にブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)、浜田省吾、佐野元春の影響は、かなり顕著に読み取れます。

アーティストは良い曲が書けるソングライター・タイプとパフォーマーとして優れているタイプがあるかもしれません。

尾崎豊については、後者のパフォーマンスで圧倒するタイプだと思います。

彼は度々曲を書けないと苦悩していましたので、コンスタントに良い曲が書ける職人タイプではなさそうですし。

ただ彼の場合苦悩の末に絞り出した曲の最高到達地点が高く、曲の出来にばらつきはあっても、必ずずば抜けた曲が収録されています。

彼は表現者として何か持っている、一発あるタイプの人だったと思います。

 

6位「I LOVE YOU」(アルバム:十七歳の地図)

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■曲名:I LOVE YOU
■アルバム名:十七歳の地図
■動画リンク:「I LOVE YOU」

初期の尾崎豊を振り返る時、プロデューサーの須藤晃の存在はとても大きかったと思います。

須藤晃は彼に曲を書くよう促したり、時には曲を書く際のヒントを与えました。

それは以下のエピソードを読んでも分かります。

須藤は尾崎に対して「曲が足りないからバラードを書いてきて」と要請、尾崎は「バラードということはやっぱり、ラブソングのほうがいいんですかねえ」と返答した[13]。出来なければアルバムは9曲でリリースするという須藤の言葉に対し、尾崎はその場で「あ、良い曲あります。『I LOVE YOU〜♪』って感じの曲なんですけど」と返答し、須藤も「うん、いいじゃない。そういう感じで書いてきてくれる」とのやり取りが行われた[14]。

I LOVE YOU (尾崎豊の曲) ウィキペディア

高校の時のあの高圧的な教師とは随分違うタイプの人だったようですね。

それもそのはず須藤晃は詩人に憧れる文学を愛する人で、言葉にこだわった人でした。

尾崎豊と相性が悪かろうはずがありません。

このアルバムからもう1曲バラードをご紹介します。

尾崎豊 – OH MY LITTLE GIRL

 

7位「シェリー」(アルバム:回帰線)

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■曲名:シェリー
■アルバム名:回帰線
■動画リンク:「シェリー」

彼の死は自殺、他殺、病死など諸説入り乱れていて、どれが本当か私には分かりません。

いずれにしても26歳という早すぎる死を悼むのみです。

彼は6メートルの高さの機材から飛び降りて全治5カ月の重傷を負ったり、覚醒剤取締法違反で逮捕されたり、斉藤由貴と不倫したりしました。

彼は衝動的で、時には過激な行動をいとわない人でした。

彼は境界性パーソナリティ障害だったと言われています。

対人関係の不安定性および過敏性,自己像の不安定性,極度の気分変動,ならびに衝動性の広汎なパターンを特徴とする。

境界性パーソナリティ障害(BPD)

さて彼はルックスの良さもあって、当初はアイドルとして売り出す計画があったそうです。

しかし彼の才能を認めていた須藤晃は異を唱えました。

彼の才能を高く評価していた須藤晃は、アーティストとして育てたかったようです。

 

8位「Scrap Alley」(アルバム:回帰線)

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■曲名:Scrap Alley
■アルバム名:回帰線
■動画リンク:「Scrap Alley」

この曲はレーシング・ドライバー、自動車評論家として著名な武井寛史に贈った曲です。

彼は尾崎豊と一緒にCRAZY BANDを結成した音楽仲間でした。

当時は武井寛史がボーカルで、尾崎豊がギターだったそうです。

さて彼の最高傑作は人によって異なると思いますが、私はこのアルバムだと思います。

「Scrambling Rock ‘n’ Roll」のようなロックンロール・ナンバーとバラードのバランスの良いアルバムだと思います。

選外となりましたが、私が好きな「群衆の中の猫」も入っていますし。

ただ最初の1枚としては「十七歳の地図」の方が良いかもしれません。

それが気に入ってからリリース順に聞き進めると、彼の変遷をたどることができます。

 

9位「失くした1/2」(アルバム:壊れた扉から)

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■曲名:失くした1/2
■アルバム名:壊れた扉から
■動画リンク:「失くした1/2」

彼の曲はロックンロール・ナンバーとバラードが多いように思います。

その中でこういうポップなミディアム・ナンバーは、とても新鮮に響いてきます。

もっとこういう曲があってもよかったと思いますが、後には更に重苦しい方向に傾いていきました。

この後彼は事務所を独立し、その結果須藤晃の下から離れました。

須藤晃は彼の歌詞にダメ出しをしたり、それに対して尾崎豊が自分の意見を押し通すこともあったそうです。

対等に意思疎通ができる信頼関係にあったのですね。

一方で須藤晃は曲名を名付けていたりします。

尾崎豊は曲名をゆだねるほど須藤晃を信頼していたようです。

この曲も須藤晃が名付けた曲の1つで、後年彼はこう言っていました。

僕がこのアルバムに関してやれたのは、尾崎が泥水の中でのたうちまわりながら、時々パーッて息継ぎをした瞬間に、写真をパチッパチッと撮ってやるような仕事だった。

壊れた扉から ウィキペディア

 

10位「街路樹」(アルバム:街路樹)

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■曲名:街路樹
■アルバム名:街路樹
■動画リンク:「街路樹」

この記事では「街路樹」までを対象としました。

紹介したくても曲の動画が見つからない曲もありました。

このブログは入門者向けということもあって、親しみやすい曲を中心に選曲しています。

ただ熱心なファンは、このアルバム以降が一番好きと言う人も少なくないかもしれません。

そういう方は彼の悩みや重さに対して耐性があるので、逆にそれが更にむき出しとなった後期を評価しても不思議ではありません。

最後に1曲だけ、コアな人向けの曲をご紹介します。

初期の彼は学校や体制に反発する人でした。

ロックンロールに純度の高い怒りを乗せた時、負の感情は免罪され、怒りの発散は共感を呼び起こしました。

しかし20代になり彼自身が大人になった時、彼の音楽に迷いが生じたかもしれません。

その後彼の中にあるネガティヴな感情は内面に向かいました。

その結果出来上がった音楽はいささか消化が悪かったかもしれませんが、極めて人間的な音楽となりました。

それにしても生きていてほしかったなと思います。

 

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